レコード芸術で発表されたけど納得がいかない。
だから俺たち2ちゃんねーで納得のいくベスト・ランキング作ろうぜ。
宇野、首位を独走
宇野 功芳(うの こうほう、1930年5 月9日 – )
東京都生まれの音楽評論家、指揮者。国立音楽大学声楽科卒。
独自の評論観を特異な筆致で断定的に書き上げる批評には熱心な信奉者があった反面、嫌う者も多かった。
宇野功芳 – Wikipedia
レコード芸術(レコードげいじゅつ)
音楽之友社が発行する、クラシック音楽のレコード(現在はCDまたはDVD専門)の月刊誌である。通称レコ芸。音楽評論では最高の権威者が執筆に当たっており、国内のクラシック音楽批評では、朝日新聞の「試聴室」とともに、最も信頼の置けるものになっている。
レコード芸術 – Wikipedia
参考:レコード芸術の結果
世界の名指揮者
1位 ヴィルヘルム・フルトベングラー
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886年1 月25日ベルリン – 1954年11月30日バーデン・バーデン)
ドイツの指揮者。作曲活動、ピアノ演奏活動も行った。
20世紀を代表する指揮者とされる。ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー等のドイツ本流を得意とした。ロマン派のスタイルを継承した演奏で、ライバルのトスカニーニとは対極をなした。スコアの深読みにかけては今なおその追随を許さず、燃えれば限りなく燃え上がり、落ち込めばどん底まで落ち込む、この落差は曲のフォルムをとらえるというより、人間の情念をえぐりだすものと言われる。現在でも続々と発売されるCDは熱烈なマニアを生み続け、その存在はあたかも教祖のごとく、彼の足音を録音したCDまで出ているほどである。バイロイトでの第九が代表的な名演といわれる。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー – Wikipedia
2位 ヘルベルト・フォン・カラヤン
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908年4 月5日 – 1989年7 月16日)
オーストリアの指揮者。
1955年よりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務め、一時期それと同時にウィーン国立歌劇場の芸術監督の地位にもあったことなどから、日本では「楽壇の帝王」と称されることもあった。20世紀後半のクラシック界のみならず、広く知られたマエストロ(巨匠)の一人である。日本との関係は古く、1954年の初来日以降、11回来日している。日本でのカラヤンの人気は高く、カラヤンは指揮者の代名詞としてクラシック・ファンのみならず一般大衆もその認知するところであった。一時期、レコード雑誌のクラシック音楽のレコード・ベスト30を決定する投票で、カラヤンのレコードが28枚も占めたほどであった。同じく戦後派の指揮者カール・ベームによれば、カラヤンは自分の求める響きが出るまで、辛抱強く楽団員を説� ��していたと述べている(ベームは正反対)。ライナー・ツェペリッツ(ベルリン・フィルの首席コントラバス奏者)は当時「(オーケストラが)これほどまでの音楽的充実感、正確性を追求できたことは未だかつてなかった。われわれは世界中のどのオーケストラにも優る、重厚で緻密なアンサンブルを手に入れたのだ」との発言を残している。
ヘルベルト・フォン・カラヤン – Wikipedia
3位 レナード・バーンスタイン
レナード・バーンスタイン (Leonard Bernstein, 1918年8 月25日 – 1990年10月14日)
ユダヤ系アメリカ人の作曲家・指揮者である。またピアノの演奏家としても知られている。
アメリカが生んだ最初の国際的レベルの指揮者になり、ヘルベルト・フォン・カラヤンと並んで、20 世紀後半のクラシック音楽界をリードしてきたスター音楽家だった。1958 年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任する。バーンスタインとニューヨーク・フィルのコンビは大成功を収め、同フィルの黄金時代をもたらした。作り出す音楽の魅力、気さくでおおらかな性格、指揮者としての情熱的な指揮ぶり(興に乗ると指揮台上でジャンプすることもあった)などでファンを魅了し、スター性も備えていた。バーンスタインの代表作は、何と言ってもミュージカル『ウエスト・サイド物語』であろう。初期の彼はブロードウェイ・ミュージカルで音楽活動の基盤を築き、その分野では早くから人気作曲家になっていた。
レナード・バーンスタイン – Wikipedia
4位 アルトゥーロ・トスカニーニ
アルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini, 1867年3 月25日 – 1957年1 月16日)
イタリア出身の指揮者。
スカラ座やメトロポリタン等の音楽監督を歴任し、20世紀前半を代表する指揮者とされている。ロマン主義のスタイルを脱却した演奏法は音楽演奏における新即物主義に分類され、ライバルのフルトヴェングラーと対極をなした。速く正確なテンポ、統一したアンサンブル等は戦後の演奏法の規範となった。徹底した楽譜至上主義ともいわれているが、しばしば部分的にオーケストレーションを改編することもあった。楽譜至上主義・即物主義的スタイルはカラヤンをはじめ多くの指揮者に多大な影響を与えた。トスカニーニの暗譜能力は驚異的であり、合奏曲約250曲の全パート、オペラ約100曲の譜面と歌詞、更に多くの小品を完璧に覚えていたという。
アルトゥーロ・トスカニーニ – Wikipedia
5位 カルロス・クライバー
カルロス・クライバー(Carlos Kleiber, 1930年7 月3日 ベルリン- 2004年7 月13日)
ドイツ出身で後にオーストリア国籍を取得した、20世紀後半を代表する指揮者のひとり。
父は世界的な指揮者であったエーリヒ・クライバー。20世紀を代表する大指揮者のカール・ベームは、ドイツ「シュテルン」誌(1981年8月20日号)のインタビューの中で、次の世代の若手指揮者で唯一才能を認めた指揮者として、カルロスをあげている。そこでは「カルロスは天才的な男だよ。父親の様にね。」(だけど)「やっぱり(父親と同じく)気難しい男でね、周りの者がてこずってるよ。」「彼にはいつも『お前は紡ぎ手だね。人を魅了する紡ぎ手だよ』と言ってるよ。」と答えている。
カルロス・クライバー – Wikipedia
6位 ブルーノ・ワルター
ブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876 年9月15日-1962年2 月17日)
ドイツ出身の指揮者・ピアニスト・作曲家。
20世紀を代表する偉大な指揮者の1人で、モーツァルトやマーラーを得意とした。戦前や戦後間もなくの日本では、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥーロ・トスカニーニとブルーノ・ワルターを「三大巨匠」と呼ぶことが多かった。よくワルターの演奏は微笑に例えられ、夢のような幸福感に満ちた美しい演奏、感情を荒々しく出すことのない中庸な演奏をする指揮者として知られている。彼は自伝に「自分は教育的指揮者だ」と残している。このことは、ワルターがトスカニーニのようにオーケストラに対して専制君主として振舞う指揮者ではないことを示しており、ワルターの人柄を良く表している。
ブルーノ・ワルター – Wikipedia
7位 オットー・クレンペラー
オットー・クレンペラー(Otto Klemperer, 1885年5 月14日 – 1973年7月 6日)
現ポーランドに生まれたユダヤ系ドイツ人指揮者。20世紀を代表する指揮者の一人とされる。
ドイツ圏の古典派・ロマン派から20世紀の音楽まで幅広いレパートリーを持つ。晩年の録音で聴くことができるように、アンサンブルや音色・情緒的表現など表面的な美しさよりも、遅く厳格なテンポにより楽曲の形式感・構築性を強調するスタイルでよく知られている。クレンペラーは身長ほぼ2メートルの大男で性格は狷介にして不羈、加えて自他ともに認める女好きでもあることから、逸話の多さで知られる。また、自身の命や指揮者生命に関わる怪我や病気も数多い。躁鬱病やアメリカ時代の脳腫瘍のみならず、後頭部からステージ下に転落して頭部を強打、背骨を骨折、モントリオール空港で転んで足と腰骨を複雑骨折など、様々な事故を体験しているがそのつど復活を遂げている。
オットー・クレンペラー – Wikipedia
8位 エフゲニー・ムラヴィンスキー
エフゲニー・ムラヴィンスキー(Evgeny Aleksandrovich Mravinsky、1903年6 月4日- 1988年1 月19日)
ロシア出身の指揮者である。
20 世紀におけるソ連・ロシア・東側諸国指揮界の第一人者、世界でも有数の指揮者の一人に挙げられる。ムラヴィンスキーは、長身痩躯で非常に舞台栄えが良く、厳しい楽曲解釈と相まって聴衆を酔わす事が出来るカリスマ性の持ち主であった。また指揮の技術にも非常に優れており、晩年には指揮棒を使わず、手の繊細な動きと視線によってオーケストラをコントロールする姿がリハーサルの映像等で見ることが出来る。50年間に渡りムラヴィンスキーの薫陶を受け続けたレニングラード・フィルとの数々の演奏は、トスカニーニを思わせるムラヴィンスキーの厳密なスコア解釈、テンポ設定を高度なアンサンブルによってレニングラード・フィルが手足の如く表現すると言う非常にレベルの高いものであり、消え入りそうなピアニッシモ� �ら雷鳴の様なフォルティッシモに至るまで一途乱れぬ演奏は西側でも非常に高く評価されていた。
エフゲニー・ムラヴィンスキー – Wikipedia
9位 ジョージ・セル
ジョージ・セル(George Szell, Széll György, 1897年6 月7日 – 1970年7 月30日)
ハンガリーのブダペストに生まれ、アメリカ合衆国クリーブランドに没した指揮者である。
1924年には当時ベルリン国立歌劇場に君臨していたエーリヒ・クライバーの下で第1指揮者を務め、その後プラハのドイツ歌劇場音楽総監督に就任した。しかし、ナチの台頭に脅威を感じてイギリスに移動し活動を続けた。セルは1960年代にはウィーン、ベルリン、ロンドンなどでも客演指揮を行った。1970年5 月13日から5月27日にかけてクリーブランド管弦楽団とともに日本万国博覧会を記念した企画の一環として来日公演を行い、日本でも極めて高い評価を受け、多くの聴衆に感銘を与えたが、帰国後まもなく癌のため急逝した。
ジョージ・セル – Wikipedia
10位 ハンス・クナッパーツブッシュ
ここで、ほとんどの落雷がヒットですか?
ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch, 1888年3 月12日 – 1965年10月25日)
ドイツの指揮者。
ミュンヘンやウィーンで活躍し、第二次世界大戦後に再開されたバイロイト音楽祭を支えた指揮者でもあった。ワーグナーやブルックナーの演奏で有名だった。クナッパーツブッシュは大変な練習嫌いで通っていたが、たとえ練習なしの本番でも、自分の意のままにオーケストラを操ることができる類稀なる指揮者であった。一度も振り間違いをしなかった、譜面にはまったく眼をやらなかった、という楽員の証言もある程である。
ハンス・クナッパーツブッシュ – Wikipedia
現代の名指揮者
1位 クラウディオ・アバド
クラウディオ・アバド(Claudio Abbado, 1933年6 月26日 – )
イタリアミラノ出身の世界的指揮者である。
温厚な人柄で知られる。楽曲解釈は知的なアプローチをとるが、実際のリハーサルではほとんど言葉を発さず、あくまでタクトと身体表現によって奏者らと音楽を作っていくスタイルだという(エマニュエル・パユなどの証言)。比較的長めの指揮棒でもって描かれる曲線は力強く且つ繊細であり、人為的なアゴーギク等を抑制しつつ、色彩豊かな音楽を表現するのが特徴である。若手の発掘や合唱団の抜擢は大胆だが、きわめてレベルの高い起用で定評がある。同郷のピアニスト、ポリーニとの長きにわたる交友関係でも知られる。それぞれに現代最高の音楽家の一人として大成した両者の共演による諸作曲家のピアノ協奏曲の演奏・録音は、ひとつの音楽的方向性における頂点を描き出しているといってもよい。
クラウディオ・アバド – Wikipedia
2位 ニコラウス・アーノンクール
ニコラウス・アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt, 1929年12 月6日 – )
オーストリアの指揮者、チェロ奏者、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、貴族(伯爵)。
1970年代からはチューリッヒ歌劇場をホームグラウンドとしてオペラにも取り組むようになり、ジャン=ピエール・ポネルが演出したモンテヴェルディとモーツァルトの一連のシリーズで世の注目を浴びた。1980年代からは古楽オーケストラにとどまらずモダン・オーケストラも指揮するようになり、近年ではベルリン・フィルやウィーン・フィル(2001年および2003 年の同団ニューイヤーコンサートを指揮)、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団などのクラシック界の保守本流と目される有名オーケストラやヨーロッパ室内管弦楽団への客演が大幅に増え、レパートリーも古楽系のものにとどまらず、バルトークまで振るようになっている。
ニコラウス・アーノンクール – Wikipedia
3位 サイモン・ラトル
サー・サイモン・ラトル(Sir Simon Rattle CBE, FRSA, 1955年1 月19日 – )
イギリスの指揮者。2002年9月よりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を務める。
ラトルのレパートリーは極めて広範ではあるが、自分が納得したものを録音する姿勢が貫かれているため、ディスコグラフィーは全集が少なく、無秩序のように思われることがあり、それが批判されることもある。また、各作品に対する解釈は極めて優れてはいるものの、それらから彼自身が共通に持つスタイル、特色を導き出すのが困難な点も同様に指摘されている。しかし、録音された演奏はいずれも高いレベルの演奏であり、世界で最も注目される指揮者の一人であることは間違いない。
サイモン・ラトル – Wikipedia
4位 ヴァレリー・ゲルギエフ
ヴァレリー・ゲルギエフ(Valery Abisalovich Gergiev, 1953年5 月2日 – )
ロシアの指揮者。
1988 年キーロフ劇場芸術監督に就任する。35歳の若さで、しかもソ連崩壊の混乱期に遭遇し、ゲルギエフの劇場経営は困難を極めたが、国際的な支援を得て、ロシアの古典オペラに新たな演出法を導入した。また、多くの新人歌手(アンナ・ネトレプコなど)を発掘することにも成功し、マリインスキー劇場を世界的な地位へと引き上げた。1996年には総裁に就任し、劇場の総責任者としての重責を担っている。ゲルギエフはその独特かつ細やかな指揮のため、指揮棒を持たないことも間々あるが、時に爪楊枝のような極小の指揮棒を持って指揮することもある。
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5位 ダニエル・バレンボイム
ダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim, 1942年11月15日 – )
アルゼンチン出身のユダヤ人ピアニスト・指揮者。
膨大な演奏や録音を短期間で生み出すことで有名で、常時暗譜でピアノ演奏できる曲目は300曲を超えるといわれている。本人はそれでもコンサートに向けて練習はするとテレビのインタビューで語っているが、彼の指揮活動の時間などを考慮しても一回ほど通す程度である。ベートーベンのピアノソナタ全集だけでも現在までに5回の録音や映像がある。日ごろの日程を追いかけてみると、「ニュールンベルクのマイスタージンガー」や「ドン・ジョヴァンニ」を練習番号を含む完全暗譜で指揮した翌日にはすぐ、ベートーベンのソナタ全曲演奏やピアノ協奏曲全曲演奏などに入っていて、それが終わるや否や直ちに「ニーベルングの指環」全曲を暗譜で指揮するような超過密スケジュールの超人ぶりである。
ダニエル・バレンボイム – Wikipedia
6位 ピエール・ブーレーズ
ピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez, 1925年3 月26日 – )
フランスの作曲家および指揮者。
初期には怒れるブーレーズと恐れられ、1940 – 50年代には「オペラ座を爆破せよ」、「シェーンベルクは死んだ」などの過激な発言を繰り返した。後にはドビュッシーやストラヴィンスキーの再評価に務めた。フランス国立音響音楽研究所IRCAMの創立者で初代所長(現在は名誉総裁)。1976年、コレージュ・ド・フランス教授に選出。現在はフリーで活躍。1989 年、第一回高松宮殿下記念世界文化賞・音楽部門を受賞した。
ピエール・ブーレーズ – Wikipedia
7位 ベルナルト・ハイティンク
ベルナルト・ハイティンク(Bernard Johan Herman Haitink, 1929年3 月4日 – )
オランダの指揮者である。
レパートリーは幅広く、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、エルガー、マーラー、ショスタコーヴィチ、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を完成させている(ベートーヴェンについては、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、コンセルトヘボウ管弦楽団、ロンドン交響楽団のそれぞれで1度ずつ完成させている)。ドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲の全曲録音や、ストラヴィンスキーの3大バレエの演奏は、解釈の当否をめぐって評価が分かれている。解釈において強烈な個性やカリスマ性には欠けるものの、綿密な楽曲分析に基づいて丁寧にじっくりと楽曲を構成していく、職人肌の指揮者といえよう。しかし、音楽理解の深さは存命の指揮者と比べ群を抜いており、知的な構築は巨匠といわれるのに十分 に魅力を持っているという人もいる。
ベルナルド・ハイティンク – Wikipedia
8位 リッカルド・ムーティ
リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti, 1941年7 月28日 ナポリ – )
イタリア人の指揮者である。
1980年から1992 年までフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任し、しばしば同楽団を率いて世界的な演奏旅行を行った。フィラデルフィア管と制作したレスピーギ作品やロシア作品(ストラヴィンスキー、チャイコフスキー、スクリャービン)、ブラームスの交響曲の録音は、現在でも評価が高い。ヴェルディやプッチーニの有名作品についても、伝統的に行われてきた改変(アリアのクライマックスでの高音の挿入、冗長と考えられる部分のカット等)に対して批判的であり、「演奏は常に作曲者によって書かれたまま(come scritto)でなされなければならない」との強い信念をもち、自筆譜の綿密な研究を通じてそれを実行してきた。メディアや過激な聴衆からはよく「まるで帝王だ」と批判の対象になる。
リッカルド・ムーティ – Wikipedia
9位 マリス・ヤンソンス
マリス・ヤンソンス(Mariss Jansons, 1943年1 月14日 – )
ラトビアの指揮者。
1971年、カラヤン国際指揮者コンクールで2位の成績に輝き、同じ年にはレニングラード・フィルを指揮してプロ・デビューを果たす。1973年からレニングラード・フィルの副指揮者を務め、ムラヴィンスキーの助手として多くの物を吸収したと後にヤンソンスは述懐している。1977年にはムラヴィンスキーと共にレニングラード・フィル日本公演に帯同して初来日。 1986年の同団日本公演に際しては、当初帯同が予定されていたものの来日がキャンセルされたムラヴィンスキーの代理として全公演を指揮するという活躍ぶりを日本の聴衆に披露した。ベートーヴェンやリヒャルト・シュトラウス、ショスタコーヴィチを得意とするが、特にショスタコーヴィチは交響曲の全曲録音にも取り組んでおり、各方面から高評価を得ている。
マリス・ヤンソンス – Wikipedia
10位 クリスティアン・ティーレマン
クリスティアン・ティーレマン(Christian Thielemann, 1959年4 月1日 – )
ドイツの指揮者。
2000 年、ティーレマンはバイロイト音楽祭からも招聘を受け、楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を振ってデビュー。ティーレマンの活躍はオペラの世界にとどまらず、管弦楽の世界にも及んでおり、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団などの一流オーケストラへの客演も盛んに行なっており、2004 年にはジェームズ・レヴァインの後任としてミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任している。
クリスティアン・ティーレマン – Wikipedia
何家族がで銀ですか?
世界の名指揮者の
カラヤンとトスカニーニとジョージ・セルはいらんな。
あとバーンスタインとカルロス・クライバーとワルターは7位以下でいい。
セル除いて納得なんだけど、一般的な世間の評価を至極まっとうに反映させようとした結果だと思うな。
>>4のカラヤンとバンスタが2〜3位って・・・
改めて考えてもおかしいよwwwwww
まずフリッチャイかな
(現在のランキングにも影響していたであろう)
フリッチャイ
セル…. ナゼか皆ハンガリー出身……
フリッチャイ人気はすごいな。
確かに彼のドキュメンタリーでリハーサルを見た時、大声で歌い出すし、的確な指示に目を見張った。
エロイカ、チャイ6のCDなど筋肉質でやわらかい音がいい。
フリッチャイが長生きしてたら、どこのポストにいただろう。
もちろんBPOです。
フルヴェンの後。
とりあえず、ベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督として、1963年の日生劇場こけら落としで来日してたはず。
1961年のザルツブルグ音楽祭(「イドメネオ」)などの成功を受けて、
ウィーン・フィルから首席指揮者のポストを用意されたものの、体調不良で実現しなかった。
クーベリックと同い年(クーベリックのほうが年長)だったから、もし同じくらい長生きしてたら、相当な影響力があったはず。
フリッチャイの追悼演奏会はクーベリックの指揮だったそうな。
常識的な線でベスト10に入るかどうかはともかく名指揮者どもではある
フリチャイ・フェレンツ(Fricsay Ferenc, 1914年8 月9日 – 1963年2 月20日)
ドイツを中心にヨーロッパやアメリカで活躍したハンガリー出身の世界的な名指揮者。
1962 年に白血病の症状が悪化し、一時的に小康状態を得るも、再度復帰することなく1963年2 月20日、スイスのバーゼルの病院にて48歳の若さで他界した。古典派・ロマン派の演奏には定評があり、晩年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのベートーヴェンの録音は現在でも名盤として扱われている。また、フリッチャイはオペラ指揮者としても大変優秀であった。加えてその人望から歌手陣に恵まれて、特にモーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』、『ドン・ジョヴァンニ』、『魔笛』、『後宮からの誘拐』は、他では聴くことのできない完成度の高い音楽を聴くことができる。
フリチャイ・フェレンツ – Wikipedia
もはやヨーロッパの規格だよ
カラヤンは嫌いだが、一位にすることは異論ないよ。後、改革者としての一位として、トスカニーニを置いてけばよい。
全員好きではないがw
個人的にはカラヤンは嫌いだが、順位付けをするとなると一位にするしかないんだよな。
オペラ抜きでも、カラヤンは外せないというか、トップだろ。
あと、トスカニーニがトップでもいいと思う。功績や後世に与えた影響も含めてな。
トスカニーニにないのは、宗教の教祖のセンスくらいだしな。
100人ぐらい候補を用意して、バイキングみたいに好きな7人選べばいいんだ
としあえずトスカニーニカラヤンフルヴェンは確定で
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908年4 月5日 – 1989年7 月16日)
オーストリアの指揮者。
1955年よりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務め、一時期それと同時にウィーン国立歌劇場の芸術監督の地位にもあったことなどから、日本では「楽壇の帝王」と称されることもあった。20世紀後半のクラシック界のみならず、広く知られたマエストロ(巨匠)の一人である。日本との関係は古く、1954年の初来日以降、11回来日している。日本でのカラヤンの人気は高く、カラヤンは指揮者の代名詞としてクラシック・ファンのみならず一般大衆もその認知するところであった。一時期、レコード雑誌のクラシック音楽のレコード・ベスト30を決定する投票で、カラヤンのレコードが28枚も占めたほどであった。同じく戦後派の指揮者カール・ベームによれば、カラヤンは自分の求める響きが出るまで、辛抱強く楽団員を説� ��していたと述べている(ベームは正反対)。ライナー・ツェペリッツ(ベルリン・フィルの首席コントラバス奏者)は当時「(オーケストラが)これほどまでの音楽的充実感、正確性を追求できたことは未だかつてなかった。われわれは世界中のどのオーケストラにも優る、重厚で緻密なアンサンブルを手に入れたのだ」との発言を残している。
ヘルベルト・フォン・カラヤン – Wikipedia
アルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini, 1867年3 月25日 – 1957年1 月16日)
イタリア出身の指揮者。
スカラ座やメトロポリタン等の音楽監督を歴任し、20世紀前半を代表する指揮者とされている。ロマン主義のスタイルを脱却した演奏法は音楽演奏における新即物主義に分類され、ライバルのフルトヴェングラーと対極をなした。速く正確なテンポ、統一したアンサンブル等は戦後の演奏法の規範となった。徹底した楽譜至上主義ともいわれているが、しばしば部分的にオーケストレーションを改編することもあった。楽譜至上主義・即物主義的スタイルはカラヤンをはじめ多くの指揮者に多大な影響を与えた。トスカニーニの暗譜能力は驚異的であり、合奏曲約250曲の全パート、オペラ約100曲の譜面と歌詞、更に多くの小品を完璧に覚えていたという。
アルトゥーロ・トスカニーニ – Wikipedia
個人的にはセラフィンよりもデ・サバタを入れたいけど録音少ないしな……フルヴェンはまあいなくてもいい
確かに。
でもマジでオペラ好きでないとカラヤンなんて聞かないという人は多いと思う。
確かに、カラヤン、トスカニーニの2人は確定だわな。
どちらが金銀にするかは迷うけど・・・・・・
フルベンは銅かな・・新しいものをつくる、改革するという
意識がゼロなので減点
伝統芸能の保存者という点では偉大と思うがな
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886年1 月25日ベルリン – 1954年11月30日バーデン・バーデン)
ドイツの指揮者。作曲活動、ピアノ演奏活動も行った。
20世紀を代表する指揮者とされる。ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー等のドイツ本流を得意とした。ロマン派のスタイルを継承した演奏で、ライバルのトスカニーニとは対極をなした。スコアの深読みにかけては今なおその追随を許さず、燃えれば限りなく燃え上がり、落ち込めばどん底まで落ち込む、この落差は曲のフォルムをとらえるというより、人間の情念をえぐりだすものと言われる。現在でも続々と発売されるCDは熱烈なマニアを生み続け、その存在はあたかも教祖のごとく、彼の足音を録音したCDまで出ているほどである。バイロイトでの第九が代表的な名演といわれる。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー – Wikipedia
ハゲ:一流
フサ:二流
フルトヴェングラーの頃までは、ハゲありだったが。
指揮者はまだしも、ソリストなんかは。
あの人超一流だぜ
日本では頭(顔)のことで差別されないので仕事が楽しいって言ってたそうだね。
デコは世界的名匠になり……カラヤンはあまり変わらなかったろうな
またケッタイなクラ板用語が生まれた。
感動率。
ここで、 genはなかった。
ホルスト・シュタイン(Horst Stein, 1928年5 月2日 -2008年7 月27日)
ドイツの指揮者。
極めてオーソドックスながら弾力のある音楽が魅力的だった。棒のテクニックは体形に似合わず器用で歯切れのいい動作をしていた。マンハイムやハンブルクの歌劇場の音楽監督を歴任。ワーグナーやブルックナー、リヒャルト・シュトラウスなどドイツ音楽を得意とし、NHK交響楽団の名誉指揮者として日本にもなじみが深い。称号は、バンベルク交響楽団終身名誉指揮者など。ウィーン国立歌劇場やその後のコンサート活動だけでもそれぞれ500回以上の出演記録がある。
ホルスト・シュタイン – Wikipedia
しかしショルティの低評価は変なの。ムラを外せばいいのに
ゲオルク・ショルティ(Sir Georg Solti, KBE 、1912年10 月21日 – 1997年9月5日)
ハンガリー出身で、ドイツ、のちイギリスの国籍で活躍した指揮者、ピアニスト。
日本においては、多くの音楽評論家による極めて否定的な批評(宇野功芳による批判が顕著であるとの意見もある)のため今一つ評価が高くないが、ハイドン、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラーなど、その演奏は今もなおその輝きを失ってはいない。ワーグナーをはじめとするオペラの指揮者としても著名な一方、オーケストラとの演奏・録音活動も幅広いレパートリーをこなしている。シカゴ交響楽団と録音したバルトークの「管弦楽のための協奏曲」に表れているように、とにかく楽器を良く鳴らし、オーケストラのダイナミックレンジと機動力を最大限に利用したような指揮は、ショルティの指揮スタイルの1つである。
ゲオルク・ショルティ – Wikipedia
やっぱり
カラヤン
デ・サバタ
セラフィン
の三人は確実に入れたい
当確で、セラフィン、サバタは比例復活当選。
ヴィト、ドラホシュは「ナクソス界の雄」という組織票で追い上げる、
といったところですね。
セラフィンが比例復活当選なんて冗談はよしてくれ。
開票率10%ですでに当確出てるわ。
このスレでは屈指の大指揮者なのにね
セラフィンを見直すスレでいいんじゃね。
住人は一人しかいないけどな。
やっぱ、ベートーヴェンの交響曲振らない指揮者は一段落ちるのかね?日本では。
欧米では、指揮者=オペラハウスからの叩き上げ。が王道らしいけど。
セラフィンを盛り上げたいならもっとガンバレ
トゥリオ・セラフィン(Tullio Serafin, 1878年9 月1日 – 1968年2月 2日)
イタリアの指揮者。
セラフィンは20世紀有数のイタリア・オペラ指揮者として評価され、多くの録音も残されているが、トスカニーニなどと違ってカリスマ性を前面に出すタイプとは言い難い。しかしトスカニーニら先行世代と違って、ステレオ録音が実用化された時期とその芸風の円熟期が重なり、後世の人々が良い録音によって彼の演奏を堪能できる条件が整った事は幸運だったといえるだろう。セラフィンはイタリアのオペラ指揮者の伝統に漏れず、若手歌手の発掘方面でも業績を残しており、特にマリア・カラスやマリオ・デル=モナコを見出した業績は良く知られている。
トゥリオ・セラフィン – Wikipedia
「田園」一曲においてのみ名指揮者である、といいたいのかどっち?
セラフィンがイタオペのみで超名指揮者と認められるのと同じで
田園一曲だけで名指揮者と認めることができる
という意味だろう
ハンス・シュミット=イッセルシュテット(Hans Schmidt-Isserstedt、1900年5 月5日 ベルリン – 1973年5 月28日)
ドイツの指揮者。
ベートーヴェン作品では、バックハウスとの共演によるピアノ協奏曲全集や、シェリングとの共演によるヴァイオリン協奏曲、ブラームス作品では、ブレンデルとの共演によるピアノ協奏曲 第1番、ヌヴーとの共演によるヴァイオリン協奏曲といった録音によって、不朽の名声を勝ち得ている。
ハンス・シュミット=イッセルシュテット – Wikipedia
セーゲルスタムがいるじゃないか
レイフ・セーゲルスタム(Leif Segerstam, 1944年3 月2日 – )
フィンランドの指揮者、作曲家。
シベリウス音楽院やニューヨークのジュリアード音楽院で学ぶ。ウィーン国立歌劇場などでヨーロッパ各地で指揮者を務める傍ら、ドイツのラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団などの常任指揮者を長く勤め、作曲家として数々の作品を発表している。特に交響曲は委嘱無しの自主的に作曲しているにもかかわらずハイドンを超える超多作ぶりで、2009年7月時点で225曲に達しているが、すべての交響曲は指揮者を想定しないで自分で自らピアノを弾くために作曲していると本人は語る。シベリウスなど北欧物はもちろん、マーラーやベルクなどの現代音楽、ワーグナーやプッチーニなどのイタリア物のオペラなど幅広いレパートリーを誇り、自作を含む数々のレコーディングも行っている。現在故郷の往年の指揮の名教 授ヨルマ・パヌマを引き継いでシベリウス音楽院の指揮科の教授でもあり、1995年からヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督も務めている。
レイフ・セーゲルスタム – Wikipedia
いくらなんでもキワモノすぎるw
ヘルベルト・ケーゲル(Herbert Kegel, 1920年7 月29日 – 1990年11月20日)
ドイツのオーケストラ・合唱指揮者。
ケーゲルは、ドイツ再統一の直後、1990年に拳銃自殺した。もともと彼は以前から何度か希死念慮を抱いていたといわれているが、統一後に自らの仕事の場所が無くなっていったことへの苛立ち、それによる周囲との不和で鬱状態に陥ったことが原因と考えられている。また、社会主義思想を持っていたとされる彼が、事実上東ドイツが西ドイツに吸収される形での統一したドイツの将来を絶望したためではないか、と言われることもある。旧東独時代の放送用録音を含め、古典派から現代音楽に至る膨大な録音を残し、現代音楽に理解の少ない共産圏においてそれらの普及にも力を尽くしたが、彼の活動は必ずしも正当な評価を受けるに至っていない。
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チャールズ・マッケラス(Sir Alan Charles Maclaurin Mackerras 1925年11月17日- )
オーストラリアの指揮者。
幅広いレパートリーを持つが、特にヤナーチェクのオペラ、管弦楽曲で優れた録音を行っている。1979年にナイトの称号を得ている。1925年11月17日、オーストラリア人の両親のもとにニューヨーク州スケネクタディで生まれた。「オーストラリア音楽の父」と呼ばれるユダヤ系作曲家アイザック・ネイサンの子孫にあたる。1986年から1992 年までウェールズ・ナショナル・オペラの音楽監督を務める。1992年以後はスコティッシュ室内管弦楽団の、1993年からはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団およびサンフランシスコ・オペラの首席客演指揮者も務めている。
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アントニオ・パッパーノ(Antonio Pappano, 1959 年12月30日 – )
イタリアの指揮者。
1992年よりベルギー・ブリュッセルにあるベルギー王立歌劇場(モネ劇場)の音楽監督に就任。同歌劇場の水準を飛躍的に高める活躍を見せる。1999年、かつて助手として働いたバイロイト音楽祭で楽劇『ローエングリン』を振ってデビューした。2002年よりロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場(ロイヤル・オペラ)の音楽監督に迎えられ、現在まで活躍を続けている。
アントニオ・パッパーノ – Wikipedia
ま、個人の好みなんて偏ってて当然。
俺の20世紀5人衆はロスバウト、アンセルメ、クレンペラー、ショルティ、スクロヴァになるかな
全員落選させそうなメンツw
ハンス・ロスバウト(Hans Rosbaud, 1895年7 月22日 グラーツ – 1962年12月29日)
オーストリア出身の指揮者。
とりわけ現代音楽の擁護者として戦前から有名で、エルネスト・ブールと並んで、指揮者としてのピエール・ブーレーズに影響を与えた。第三帝国の時代は内的亡命を余儀なくされ、自由な音楽活動を制約される。1937年には政治的理由からフランクフルトを追われ、ミュンスターの音楽総監督を務めながら雌伏の4年間を過ごす。さらに3年間をストラスブールで過ごした後、戦後はミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団や新設の南西ドイツ放送交響楽団、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の指揮者として楽壇に復帰した。また、戦後のドナウエッシンゲン音楽祭の再興にも尽力した。
ハンス・ロスバウト – Wikipedia
懐古主義者も出てきて当然だとは思いますが若手も入れた方がレスに活気が出る気がします。、
クラシック音楽業界は滅ぶかもね。
シャイー
もうすぐ60だが。
リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly, 1953年2 月20日 – )
イタリア出身の指揮者。
14歳で指揮者としての活動を始め、1982年から1989年までベルリン放送交響楽団(現在のベルリン・ドイツ交響楽団)の首席指揮者を務めた。1988年からはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者となり、2004年まで在任した。同楽団とは定評の高いマーラー、ブルックナー、ブラームスの交響曲全集、ヴァレーズ全集などの名録音を残している。2005年からはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターに就任した。大きなスケール、かつしっかりとした構成感を再現しつつも、細部まで精巧に作られた彼の音楽は、多くの聴衆から支持されている。
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ウェルザー・メスト
マゼール
ユリウス・ルーデル
ビシュコフ
ヴァーツラフ・ノイマン (Václav Neumann, 1920年9 月29日 – 1995年9月 2日)
チェコの指揮者。
1968年から20年以上にわたってチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務め、同管弦楽団の国際的な名声を築き上げた。1989年、チェコ国内で発生したビロード革命では一貫して反体制派側につき、11月17日~20日の間スメタナホールにおいて連日スメタナの「わが祖国」を演奏して学生ら活動家を応援し、民主化が成功した直後の12月14日には新大統領のヴァーツラフ・ハヴェルを招いてベートーベンの第9を演奏するなど、さまざまな面で活躍した。この直後、イルジー・ビエロフラーヴェクに首席指揮者の地位を譲るが、その後もチェコ・フィルとの活動は継続した。
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フランツ・ウェルザー=メスト(Franz Welser-Möst, 1960年8 月16日 – )
オーストリアの指揮者。
ウェルザー=メストは、スウェーデンのノールショピング交響楽団の首席指揮者に就任、スイスのヴィンタートゥール・ムジークコレギウム管弦楽団の指揮も任され、指揮者としての本格的なキャリアを重ねていく。1986年、ヘスス・ロペス=コボスの代役としてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してモーツァルトのレクイエムを演奏、大成功を収め、同楽団との関係を深めていく。この頃からEMIへの録音も始まっている。
フランツ・ウェルザー=メスト – Wikipedia
ロリン・マゼール(Lorin Maazel, 1930年3 月6日 – )
フランス・パリ近郊、ヌイイ=シュル=セーヌ(Neuilly-sur-Seine)出身、アメリカ国籍の指揮者・ヴァイオリニスト・作曲家。
1965年にはベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団(旧西ベルリン、現在はベルリン・ドイツ交響楽団)の音楽監督(どちらも早世したフェレンツ・フリッチャイの後任)に就任。1972年にはジョージ・セル死去後空席となっていたクリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任した。
ロリン・マゼール – Wikipedia
ユリウス・ルーデル Julius Rudel
1921年ウィーン生まれ。しかしウィーンを17歳で離れ、それからはアメリカでの生活が続く。ニューヨーク・シティ・オペラの音楽監督、バッファロー・フィルの音楽監督、その後はメトなどでも活躍した(日本公演も来た)。もちろんそれ以外でも世界各地の歌劇場で客演してきた。これまで彼の録音は7回グラミー賞にノミネートされ(一度受賞)、ヘンデルの「ジュリアス・シーザー」は最高のオペラ・レコーディングに贈られるシュヴァン・アワードを受賞。ルーデルはオーストリア、ドイツ、イスラエル各国から文化勲章を受けている知るひとぞ知る巨匠であった。
セミヨン・ビシュコフ(Semyon Bychkov, 1952年11月30日 – )
ロシア出身の指揮者。妻はピアニストのマリエル・ラベック。
1989 年から1998年までパリ管弦楽団の音楽監督に就任し、その後ケルンに移り、ハンス・フォンクの後任としてケルン放送交響楽団の指揮者に就任した。ユダヤ系ロシア人ではあるが、ヘルベルト・フォン・カラヤンに心酔し、その音楽美学を引き継ぎ、お家芸というべきロシア音楽だけでなく、ドイツ音楽やフランス近代音楽のいずれも得意としている。代表的な音源に、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演によるショスタコーヴィチの《交響曲 第8番》や、パリ管弦楽団との共演によるラフマニノフの《交響曲 第2番》がある。
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イギリス ボールト
ドイツ フルトヴェングラー
オーストリア カラヤン
フランス アンゲルブレシュト
ロシア ムラヴィンスキー
チェコ ターリヒ
オランダ メンゲルベルク
ハンガリー ニキシュ
イタリア トスカニーニ
故人だとこうなるのかなあ
一方で、たとえばアメリカなどは、>>197の指揮者リスト(故人の部)では、
バンスタ以外にこれといった大物指揮者がイマイチ思い浮かばない。
イタリアはデ・サバタとジュリーニもいる
アンゲルブレシュトについては異議なし
ハンガリーはセルだろう。
ライナーもオーマンディもハンガリーだな w
といいつつ、フェレンチーク、フリッチャイ、ライナー、オーマンディ、
ショルティ、ケルテス等、ドイツ以外での最大の指揮者輩出国である
ハンガリーで1人だけ決めるのは無意味だと意見しとく。
ヤーノシュ・フェレンチク(Ferencsik János、1907年1 月18日 – 1984年6 月12日)
ハンガリーの指揮者。
ハンガリー国立交響楽団(現ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督・首席指揮者を長年務めたほか、ハンガリー国立歌劇場の音楽監督も務めていた。フリッツ・ライナー、ジョージ・セル、ユージン・オーマンディ、ゲオルク・ショルティ、イシュトヴァン・ケルテスなど、ハンガリー出身の指揮者が西側諸国で活躍する中、フィレンチクは国内に留まり、戦後のハンガリー楽壇を支えた指揮者の一人である。
ヤーノシュ・フェレンチク – Wikipedia
フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888年12月19日 – 1963年11月15日)
ハンガリー出身(ユダヤ系)の指揮者。シカゴ交響楽団音楽監督。
レパートリーは広く、どの演奏も、オーケストラの機能性を十全に発揮した筋肉質で純度の高い表現を見せる。とりわけ、リヒャルト・シュトラウスの交響詩や出身地ハンガリーの作曲家で個人的にも親交のあったバルトーク、圧倒的な力感に溢れたベートーヴェンの交響曲、などについては現在も非常に評価が高く、名盤とされる。
フリッツ・ライナー – Wikipedia
ユージン・オーマンディ(Eugene Ormandy 1899年11月18日 – 1985年3 月12日)
ハンガリー出身のユダヤ系アメリカ人指揮者。
彼の指揮するフィラデルフィア管弦楽団の、弦を中心に磨きぬかれたその音色は、「フィラデルフィア・サウンド」、「オーマンディ・トーン」として名を馳せ、とくに後期ロマン派音楽の楽曲演奏に大いなる力を発揮した。
ユージン・オーマンディ – Wikipedia
これで決まり
小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15 年)4月9日 – )
日本の作曲家、指揮者。愛称は「コバケン」、通称「炎のマエストロ」。
2000年に日蘭交流400年の作曲を委託され、管弦楽曲「パッサカリア」を作曲、ネーデルランド・フィルを自ら指揮をして初演。2002 年には、「プラハの春」音楽祭のオープニングコンサートにて、東洋人として初めてチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して登場。スメタナの交響詩『わが祖国』を演奏し全世界に同時中継される。音楽教育者として東京音楽大学客員教授を務め後進の指導をしている。東京芸術大学音楽部指揮科教授を務め現在は同大学名誉教授の称号を得る。
小林研一郎 – Wikipedia
トスカニーニ、フルベン
こうすれば後は
一位カラヤン
二位バーンスタイン
三位ベーム
四位クレンペラー
五位ワルター
とすんなり決まる。
個人的にはカラヤンは嫌いだが、順位付けをするとなると一位にするしかないんだよな。
名誉一位 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
アルトゥーロ・トスカニーニ
オペラ部門 トゥリオ・セラフィン
といったところか
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