少し前、この教室機関誌に「伝道の書の行方」という評論を載せてもらったが、それを見て、歳を重ねてますます古い世界に遊ぶようになったな、と思われる方は、絶対にその中身を読んでいないか、読んでも真に理解はしなかった、と断じてもよい。私がそこで問題としていたものは、「文学の行方」ということであったのだ。私が、というよりは、論説の対象となった作家ノサック(H.E.Nossack, 1901-1977)が、と言うべきかも知れない。
唐突な切り出しであるので、面倒ながら、前評論の素材となったノサックの詩論を、一応、ここで振り返らなければならない。それは2ページ足らずの短文で、初めにグリュフィウス(A.Gryphius, 1616-1664)の作として、『終わりに』(Am Ende)という見出しで3節からなる詩を挙げ、それについて所感を述べているのだが、殊に目立つのは、この短文全体に『我が詩』(Mein Gedicht)という標題を掲げていることである。バロックの古い詩でありながらも、これぞ「我が意を得た詩」という意味なのか、それとも、「私が読めばこういう意味になる」という現代的作家の意思表示なのか。まあ、謎かけのようで恐縮だが、私の解かんとするところは、謎めいていて、年寄りの雅趣にかなっている。重複を厭わずに、まず問題の3節詩を掲げなければならないが、紙面の都合と、読者のドイツ語理解力を信じて、説明のために必要な個所を除いて、あえて日本語の訳は付けない。以下、他の引用に関しても、同様である。
Am Ende |
Ich habe meine Zeit in heißer Angst verbracht: Dies lebenlose Leben Fällt, als ein Traum entweicht, Wenn sich die Nacht begeben Und nun der Mond erbleicht. Doch mich hat dieser Traum nur schreckenvoll gemacht. |
Was nutzt der hohe Stand? Der Tod sieht den nicht an. Was nutzt mein Tun und Schreiben, Das die geschwinde Zeit Wird wie den Rauch zutreiben? O Mensch, o Eitelkeit, Was bist du als ein Strom, den niemand halten kann? |
Jedoch was klag ich dir? Dir ist mein Leid erkannt. Was will ich dir entdecken, Was du viel besser weißt: Die Schmerzen, die mich schrecken, Die Wehmut, die mich beißt, Und daß ich meinem Ziel mit Winseln zugerannt! |
化共有材の観念だけでは、この場合は済まないようである。 |
それと気になるのは、前回に論文執筆中もそうであったが、ここに纏められた三つの詩句が、必ずしも一体性を保っていないことである。いわば三つの部分がばらばらで、自己の嘆きを愁訴している。相互のあいだに詩的統一体たる関連性が乏しいのである。いわば、これだけを取り上げれば、まずい詩である。それになぜ詩的感動を覚えるのか。筆者はそのばらばらが気になった。それに、少し教養のあるドイツ人であれば、この詩が、用語、配語、言い回し等の点で、典型的にバロックの詩だとはすぐに分かるのであって、ノサックさんともあろう人が、わざわざそれに感動するほどのことはない。
まず最初に、非常に魅力的な句である 'dies lebenlose Leben' はバロックで特に愛好された「頭韻」(Stabreim)のきわめて効果的な使い方であって、おそらく当時の文人からも喝采を博するほどのものであったと推測される。今なら少し気障に聞こえるが、ノサックがそうしたように、この句を標題にして、戦中戦後の我が生を省察する、というのは、はなはだ魅力のあることである。それに第1行目の'......meine Zeit in heißer Angst verbracht'というのも、特異な表現で、ナチ時代に要注意人物として重圧に苦しんだノサックの身には、生々しい体験の詩的具象化であったというふうに言えるであろう。おそらくこの2行がなければ、ノサックはこの詩に注意を向けることはなかったであろう。なにか、推測の連続ばかりで、これを書いている当人もいささか忸怩たる思いがあるが、ノサックの口からはもちろん、他に周辺資料がないのだから、こちらから探索して行かなければ、いかなる道も開かれない。推測論文にもそれだけの妙味がある。
ここで、オリジナルのヘンリー·ロングフェローの詩は、鑑定取得するには?
すでに従前の論説で明らかなとおり、ここでは ‛Zeit'が二重の意味合いで使われている。一つは言うまでもなく、バロックの規範的思考に基づいて、神意によって人間にあたえられた、地上における人間の「生涯」のことであり、それを読んだ二十世紀後半の詩人の受け止め方は、自分が体験した、あるいは体験しつつある現在の「時代」のことである。したがって、グリュフィウスの意識によれば「世界劇場」(Welttheater) において具象的に呈示されているとおり、神の指示する一定の役割を果たす、いわゆる'Rollenspiel' が限られた人生の意義であり、このような静止的な生の範疇においては、人間は「生きている」というよりは、むしろ「生かされている」に過ぎないのであって、そこから「生なき生」の嘆きが生ずる。ヨブの嘆きは有限の存在である人間に必然的な「無常」(Vanitas)の悲哀なのである。人生は所詮「夢」(Traum)、明日は「煙」(Rauch)のように消え去って行くと思えば、「焼けるような不安のうちに」、その日を過ごして行かねばならない。それを悟ること以外に、現世に救いはないというのが、聖書の教えであろうか。ヨブは満足しない。「夢」とか「煙」とかは、バロック詩に無数に出てくる「無常」の指標である。
これに対してノサックの場合には、すべてが現在化して捕捉されている。'meine Zeit' はナチ時代、およびその余韻を曳く戦後の時代を、みずからの体験に即して、現代史の恐怖として受け止めて、「焼けるような不安」の中に過ごしたという文言の中には、ヒロシマ、ナガサキの原爆の焦熱地獄の恐ろしさまでも読み込んでいる。常識ではあり得るはずもない乖離した文言が、彼の文学の文脈では、すんなりと結びつけられているのである。これはこの場合に限ったことではない。よく例に出されるが、ホメロスの詩文に関して、三千年前に流された涙は、いかなる論理的解説を加えられても現代のわれわれに理解できるわけがないが、それでもわれわれは感動するという。文芸の呈示者と受容者の接点が、詩的共感を生むということであろう。ノサックにおいては歴史的時空の隔たりを悠然と超越して、詩的言語 の二重性というものが顕著に認められる。これは、ある意味では、彼の文学の特質を成していると言えるのではなかろうか。彼みずからが、この詩的言語の超絶性を意識して、自分の文学の「脱歴史性」(außerge- schichtlich)なる点を強調している。この特殊な概念は、彼の文学を知る上でのキィーワードとなるべき重要性を秘めている。下手に使えば、アナクロニズムや、テレビのアニメ映画の手法にもなりかねない。少なくとも、学者連中からはペダンティックな批判の対象にはなろう。
続いて第二節の分析に入らねばならないが、これは当三節詩の中で、もっとも平凡で、普遍的な詩句の羅列と言わねばならない。テーマ、用語、配語のいっさいにわたって、グリュフィウスの他の詩、殊にあの有名な『伝道の書』に由来する『空の空』(Vanitas! Vanitatum Vanitas!) の記述の再来に接する思いである。それほどありふれた命題を決まり切った言葉で述べているので、一見、どうしてノサックがこの詩句をわざわざここに選んだのかな、と思われるほどである。が、ただ一カ所、はなはだ気になる文言がある。それは第2行目の 'Was nutzt mein Tun und Schreiben' である。「私のすること、書くことが何の役に立つのか」の一行である。無常の詩はすべからく聖書に由来することはつねづね述べているが、その理念の中核である『伝道の書』の中には、「書くこと」の空しさについての警告はいっさい出ていない。およそ ‛schreiben' なる用語に接することはないのである。またまた推測で恐縮ではあるが、筆者の思うには、一見平凡なこの詩節がノサックを引き付けたのは、この一語の故ではなかろうか。「私の・・・・・・書くことが何の役に立つのか?」 かねて「文学という弱い立場」(Die schwache Situation der Literatur) を公言して憚らないノサックであり、実務家として実社会との交渉も濃厚であったノサックのことだから、文学などは世の不要品に属するものであったのかも知れない。パロディー的に言うならば、昔、ヘルダーリン (F. Hölderlin) が「乏しき時代にありて何のための詩人ぞ?」(Wozu Dichter in dürftiger Zeit?) と問いかけたのと、意義こそ違え、同類の設問を、ノサックは胸に抱いていたと言えるだろう。それはさておき、しかし、ここでもノサックの「時の二重性」の特色は浮き彫りになるのであって、問題の「書く」という行為は、バロックに先立つ近世初頭の「人文主義」(Humanismus) の時代に、神の栄誉に代わる人智の栄光を表すものとして、フマニストたちのあいだで論じられていたものである。後代の作家が作品を「書く」というのとは、精神的意味合いがかなり異なっている。それが、おそらくノサックの場合には、時空を飛び越えて、当時の彼の急務の問題として意識されたのであろう。それにしても、この'Mein Tun und Schreiben' には、現代作家の胸を打つ造語の妙味がある。
誰が最後のハリー·ポッターの本の中で死ぬだろう
ここで話は少し横道に外れるが、この二語一連の用語は、通常は'das Tun und Treiben'、または'das Tun und Lassen' などの形態で使われる言い回し(Rede- wendung) である。その形態を利用して'Tun und Schreiben' を組み合わせた技巧である。ここでは文字通り「為すこと、書くこと」と分けて訳すべきであろうが、作家にとっては、「為すこと」とはつまり「書くこと」と同義であって、結局同一行為の強調というか、駄目押しということになるであろう。それ故に付加語は'mein'一つで、以下に従属するものが別物でないことを示している。同様に 'das Tun und Lassen' なども、定冠詞は一つで、以下に包括されるものが同一であることを示している。この語法については、筆者には面白い授業上の体験があって、あるとき大学院でゲーテの『遍歴時代』(Goethe, Wilhelm Meisters Wanderjahre) を教材に使っていたときに、ご承知のとおり、主人公のヴィルヘルムが旅に出かけるときに指令書を渡されるが、発表の当番に当たっていた学生は、そこには「するべきこと、してはならないこと」のいっさいが記されていた、と訳したのである。思わず吹き出すと、学生は怪訝な顔をした。どうやら予習用に使った市販の翻訳書で、そのような訳が施されていた模様である。それで、自宅へ帰って調べてみると、果たしてその通りであった。訳者は、まさか固有名詞を挙げるわけには行かないが、学界の長老である。この程度の語法は、格別難しいドイツ版の辞書を引かなくとも、学習用の独和辞典でも成句として記載されている。いわゆる日本語で言う、「することなすこと」のいっさい、という意味である。先生が間違えて はいけない。学説の相違で対峙するのはいいが、大元のテキストの読み損ないで、正論を歪めてはいけない。あまりきついことは言いたくないが、学問の正統派、と言えばオーバーに過ぎるが、ドイツ語のプロとして、この点に関して、もう一例だけ、この機会に述べさせてもらいたいことがあるが、それは、上記のゲーテの晩年の著作に関係するアフォリズムの中に出てくる文言である。'Die Forderung des Tages.' ―これを知名度は高いが、ある物好きな先輩学者が、何を思ったか「時の要請」と訳した。「諦念の人びと」(die Entsagenden)の各種エピソードを扱ったゲーテのかの書物で、このようなアンガージュマンにかかわる大仰な概念が出て来るはずがない。念のために読み返してみると、その前後のアフォリズムを含めて、人間は日常の生活の中で、職場であれ、家庭であれ、いろいろ煩瑣な出来事や業務に出合うが、それを日ごと、こつこつとこなしなさい、という、市民的倫理性を説いた言葉なのである。注釈書を見ても、それは自明のこととして、簡素な指摘がなされるに留まっている。それに時代的要請というような大長刀を振るわれると、一見、立派な教条のようには見えるが、実はゲーテの真意を取り違えることになり、困る。ところで、トーマス・マン(Thomas Mann, 1875-1955) がこの言葉が好きで、それをそのまま標題にした評論集さえ出している。時代が二十世紀、ナチ・ドイツの風雲急な時のことだから、勢い、その話題は時代的問題が多くなって来る。それがすべてではないが、そこに重心を置いて、この時期、マンは「時の要請」に殉じたという説をなす者があらわれた。お前さんは作家だから、小説を書いておればいいのに、政治のことに口を出すな、と、亡命先のカリフォルニアで言われて、ご時勢だから仕方ないさ、とマンは苦笑した。それでアメリカ版の同書は 'The Order of the Day' という標題が付いている。誰がこの英語名を時代的要請の意味に解するであろうか。以上のことは、アメリカ亡命中の彼の自伝的記録文に出てくる。日本人の持って回った解釈よりも、彼自身の告白を信じたい。
さて、話は本題にもどって、おそらくノサックには、この'Schreiben' なる語が、比較的平凡なこの第二節の中で、特に激しい印象をあたえたのであろう。「昔も今も、作家、詩人たるものが、身を苛むようなやり方で自己に突きつける問題」が、ここに提起されていると、その小論の中で強調している。そうなると、先ほどのヘルダーリンの事例は、時間の位相が違うので、筆者の頭脳ではパロディー的な結びつきしかないが、脱歴史性のノサックが知れば、案外、まともに絶妙な文学的エピソードとして、歓迎されるかも知れない。とにかく、何のために書くのか、という設問から、また、あらゆる肯定的な答の可能性も返って来るのである。これがノサックの、文学の将来に向けての期待である。それはゼロであるかも知れない。しかし、ゼロであってはならないと、彼は信じている。
ところで、第一節で述べられた「身を焼く不安」はどういう結末を迎えるのであろうか。第三節はその解説である。もともとこの詩はグリュフィウスの長いOde からの抜粋で、原詩のタイトルはほぼラテン語聖書の文言通りとなっている。‛Dimitte me! Ut plangam paululum dolorem meum. Job.10.' 日本語になおせば「どうぞ、しばし私を離れて、少しく慰めを得させられるように」(ヨブ記第10章20節)である。長詩の全体が、神に対する死すべき人間の愁訴の連続である。だから、今すぐくたばれなどと無慈悲なことを仰らないで、私が苦悩の涙を流し切るまで、しばらく待って頂きたい、というわけである。呼びかけの相手は当然「神」である。しかし、この三節詩の終局の詩には、神は現われない。現われるのは 'Du' である。問題の小論の中では、ノサックはここに注意を喚起して、その点が作者の偉いところで、17世紀の当時には、すでに神は陳腐な概念になっていたのでしょう、と言う。しかし、それは誤解でなければこじつけ、好意的な言い方をすれば、詩的虚構である。それというのも、この引用詩節の前節では、「三倍も偉大な神よ」(Dreimal großer Gott) と、神様は大威張りで現れるし、その存在に向かってヨブは愁訴するのである。どうもノサックは、その原詩を読まないか、読んでいても知らない振りをしている傾向がある。しかし、ノサックほどの人が、この三節詩にそれほどの感動を受けたというのであれば、その全詩を知らないはずはない。必ず読んでいるはずである。ここで働くのは、一種の詩的自由であろうか。それにしても恣意的に過ぎるという難はまぬかれない。
ハリー·ポッターと死の秘宝ハリー·ポッターは死ぬん
ここで老年文体特有の合いの手を入れて、筆者の青年時代の愉快な思い出話を許して頂くと、高等学校(旧制)でドイツ語の手ほどきを受け始めた頃、有能だが冗談好きな先生が、敬称(Sie)と親称(Du)の区別に関し、神様はどんなに偉くても'Du'ですよ、と言って、生徒たちを笑わせた。この詩句の場合の'Du'が神であることはあまりにも明瞭であるが、ノサックはその当たり前のところで、この'Du'は必ずしも神である必要はないと主張している。そして文は大きく飛躍を遂げて、いきなり「君」と呼んで「私」に語りかけて来る。詩句の内容からすれば、万事を承知している相手ということになるから、この「君」、すなわち「私」は、現実の暴力的政治に抑圧されている同志ということになるのであろうか。現に、ノサックは、他の箇所で、自分の仲間が次々と逮捕、投獄されているという報せにおののいている様子を報じている。彼もブラックリストに載っているとすれば、悲嘆の声は同調者の証しとなる。彼がまた別の箇所で語っているところによれば、自分が臆病か、あるいは十分に誠実でなかったために、沈黙に終わる。ところがこの三節詩の作者は、男らしくも(die männliche Geste)、なぜ君に嘆いたりするのであろうか、と言いつつも、友人同士の親しげな会話調で、苦悩のたけを訴える。さすがにその声は少し震え、そして、三百年を経て、その震えはいまだに続いている、と、要約すればノサックはそのように感動の辞を述べている。これは彼の間違いでなければ、明らかに詩的脚色である。ノサックの詩的言語に関する超論理性の証拠と言うべきか。
ノサックの詩的言語に対する独特な対応の仕方については、注目する人もたぶん多いだろうと思うが、筆者はかねて公言しているとおり、特にノサックの特殊研究家というわけでもない。かつての教え子や弟子筋の人の仕事に共鳴し、また文学史家として、新文学の特性というようなものに興味があったので、ノサックは身近な存在となり、殊にそこへ、グリュフィウスの詩が絡んで来て、筆者の一専門分野とするバロック文学、ひいては古典全体の受容史の問題が生起した。脱歴史性を主張するノサックの文学から、「非同時的なものの同時性」を考えさせられるという、これは年齢とともに硬化して来た筆者の頭脳には、格好の刺激となった。
そこで、更に一つ、言葉の問題をめぐってノサックの文学観に微妙に関わって来るエピソードを紹介し、検討してみよう。ノサックは1967~68年の間、フランクフルト大学に招聘されて特殊講義を行っているが、「文学は教えられるか?」(Ist Poesie lehrbar?) というのが、その講義題目であった。この挑戦的な題目がすでに、その内容が尋常でないことを示している。それは、先達をたどれば遠く17世紀にさかのぼる数多の重要な業績があり、19世紀から20世紀前半にかけて、ほぼ学として地位を確立する文芸学(Literaturwissenschaft)の尊厳を疑問視するものであり、そもそもアカデミックな授業の場にふさわしい問題提起ではない。それは自明のことである。ノサックは詩学を否定しているわけではない。詩学なきところに文学はないが、逆に、教養に基づく詩学だけでは、文学は単なるディレッタンティズムに連なるという。なぜならば、文学はつねに、人の世の、一見ありふれた諸事に対してさえも、常識から離れた、別個の観察と批判、ないしは揶揄の眼を持つからである。いわば、文学は、人世の敵対者であるところに、その宿命的な使命を持っている。─そんなことを言うから、学生運動華やかなりし当時の政治の季節に、ドイツ観念論(Idealismus)の系譜を引く解釈学の泰斗、E.シュタイガー教授(Emil Staiger)は、現代にはそぐわない、アナクロニズムの権化として、学生たちから否定されてしまった。まことに、今更シュタイガーでもあるまい。ともかく、ノサックによれば、どうしても、詩人、作家なる者は、人世の外側に立っている。タッソーの桂冠の悲劇は、昔から詩人にあたえられた運命である。そして、ノサックが説くには、大昔、そもそもの聖書の書かれたときから、そのことは規定されているではないか。ラテン語聖書(Vulgata)の『詩篇』87番(現在版では88番)を見ると、詩人に関して'inter mortuos liber'なる記述がある。ドイツの慌て者がこの'liber'をそれと等価の'frei'と読み取って、「死者の中にあっても自由なる者」と訳して優越を主張したが、この語は、ドイツ語の場合もそうだが、そういう肯定的な意味ばかりではなく、本来「ほったらかし、アウトロー的」という意味も持っている。試みにこの箇所のドイツ版を辿ってみると、'......unter den Toten ver- lassen' となっている。念のために日本版を当ってみると、「死人のうちに放たれて」となっている。またまた余談になるが、日本語の聖書ではしばしば意味不鮮明な箇所に出くわす。ここでも、ドイツ語ならばすかっと分かるのだが、日本語では、この訳では「死人のうちに一緒に入れられて」と理解するのが普通であろう。最新共同訳だが、改版ごとにますます悪くなって行くような気がする。このような聖書を使って、牧師さんたちは、教会でどういう説教をしているのであろう。まあ、余計な心配はしなくてもよかろうが、とにかく、ここは「死者のうちにあってさえもどうにもならなくて」という意味である。そこでノサックは同文を人世に漂う「無用の浮荷として見捨てられた」という意味に解説し、更に付け加えて、「精神 と呼ばれるものに今日もまだ携わっているすべての人に推薦したい標語」と決めつけている。そして、我々同類にとっては辛い診断ではあるが、この言い方は「文学史上もっとも悲観的な定言」であるが、それにもかかわらず「高度の文学的表現」と規定する。だれしもこれには容易に同調しないであろう。人類の叡智を下からくすぐるような放言である。だからノサックは、文学は、本来、挑戦的なのだ、と言うのである。あらゆる芸術手段の中で、言葉だけが為し得る冒険なのかも知れない。
ありとあらゆる時空の堆積の中から、このようにしてノサックは文学の核となり得る素材、すなわち言語表現を求めて、文学的感動の秘儀を説こうとする。その論じるところは必ずしも平易ではないが、時空の隔たりを揚棄して、たとえ短い叙述であろうとも、書く者と読む者とのあいだに発生する「共振」、もしくは「共通体験」(miterle- ben) が、文学に永遠の生命をあたえると見なしているようである。分かる人には分かる。自分の発する信号は、時空を超えて、同心の友の心には通じる。それを信じて、書く。文学(Poesie)とはそういう孤独な作業であろうからには、それが果たして「教えられる」であろうか。答はおのずから明らかである。
このようにして、ノサックはその講義原案の終わり近く、もっとも理想的な形態の一つとして、グリュフィウスの詩に触れる。かつて三十年戦争の後にある男がこう語ったとして、例の三節詩の第一節目だけを引用している。そして、これには『終わりに』(Am Ende)という題が付いていて、黙示録的な最後を暗示しながらも、そこで目立つのは、この詩において、どこにも神という言葉が出て来ないところである。そこがグリュフィウスの驚くべき点で、因習に逃げることをしていない、と述べている。以前に『我が詩』でこの三節詩について論じてから、ほぼ20年経っているのに、この詩に対する基本姿勢は変わっていない。その間にバロックの原詩に接したであろうことは、当然、考えられる。最近の情報では、MarbachのNossack-Archiv にそのコピーの所在が確認されているが、にもかかわらず、原詩の文脈を離れて、別次元で、言うならば自己の詩的構想力の活動する領域で、ノサックはこの詩の変容を遂行している。『終わりに』という標題も、だれが付けたかは断じ難いが、その当時に直面する政治社会的状況、およびそれに付随する精神的問題を集約して、言い知れぬ魅力を感じさせる。たとえ大元とは異質のものであれ、このようにして古典受容の新しい可能性が開ければ、それもまた、ドイツ文学にとって歓迎すべき事象なのかも知れぬ。ただし、文学専門研究家はその推移の過程を十分に吟味しておかねばならぬ。それだけは、よくよく心すべきことである。
ところで、筆者はかねてから、諸種の評論よりも、ノサックは殊にショート・ストーリィの分野で、最もよく文才を発揮する作家であるとの判断を持っている。また、その記録文学、特に「ハンブルク空襲」に関する文章は、現実の歴史的資料としても重要であろう。彼はおそらくこの方面で、今後、大いに注目される存在となろう。しかし、以上の評論から見る限り、どうしても、その文学活動に積極的な意義付けを行うのは簡単ではない。否定の否定を期待して書かれていることは分かるが、現在の世の中では、殊に各種芸術的メディアの激変を顧慮する場合、文学の昔の権威が失われていることも事実である。そこへ「無用の浮荷」などのレッテルを貼られれば、ますます実社会から遠のいてしまう。それでも� �い。それが文学の本来的なあり方ではないか。ノサックはそう言っているようである。筆者の趣味に照らして、少しく感傷的な言い方をすれば、文学は遥かな時空の隔たりを越えたところにも発生する、孤独な魂の交信である。そして、ノサックが上記の講義文案の最後に述べているように、あらゆる文学的用語が尽き果てた後、最後に残る一句は、「僕は一人ぼっち」である。筆者は、文学をあくまでも個人的な所産であると考えている。したがって、その鑑賞も、個人的なものである。「森の詩社」(Hainbund)の青年軍団でもあるまいし、徒党を組んで、会食や談論風発の中から、文学的真理が生まれるとは、とうてい、信じ難いのである。トーマス・マンの若い頃のように、「黙って、姿も見せずにはたらいたのである」(Tonio Kröger)という、そういう真理の見つめ方が好きなのである。
と言うと、たちまち、周辺から非難の声が響き寄せて来るであろう。大学は集団的訓練の場である。大学内でも、また他大学との連携でも、共同研究、更には、学際研究の環の中にあってこそ、広く、かつ公に役立つ仕事が可能であると主張されるのが、現在では一般である。それは決して新規な発想ではない。確か1970年代のことと記憶するが、従来の各種学界の閉塞性を排し、隣接分野の有志を統合する新パラダイムの形成が促された。従前の研究体制にすでに限界を感じていた筆者も、かなり熱心な共鳴者で、各界の有志とも交流を重ね、文部省の科学研究費までも貰ったが、成果は報告書一冊に終わった。結局、皆が専門家であり過ぎたのである。それも無理はない。膨大な文化財の吸収と処理は、それがある程度完璧に行われぬ限り、雑学に連なる。それは有為な学者の潔しとするところではなかった。ところが最近の風潮で、学際研究と称して、物事の真義を十分に把握せぬままに、あちこちから知識のつまみ食いをする傾向が見られる。研究分野は広がるであろうが、人間の才能はそう容易に広がるものではない。最近、� ��近な研究機関誌の中でパラダイム論を発見して、一瞬、一世代先にタイムスリップしたような錯覚を覚えた。願わくば、当事者が、雑学に終始しないことを願うばかりである。これ以上の批判は控える。
ところで、結論的に申し上げねばならないが、「文学の行方」などと柄にもなく大見えをきった揚句、詩人、文人の「書くことの意義」の説明に終わったかに見えるのは、羊頭狗肉の感がするではないか、ということであろう。これについては、すでに1950年代に、ドイツで、「小説の危機」(die Krise des Romans)という概念が、学界レベルで、いかめしい論議の的となったことを思い返して頂きたい。かつては異端視されながら、今は他のジャンルを圧して文芸の王道に躍り出た小説が、その無軌道な驀進の故にすでに「死」(der Tod des Romans)に直面している半面では、世の一般の無邪気な読者は、巷に溢れかえる散文の「娯楽文学」に歓喜している。ちょうどその声が響き出た頃、留学生としてドイツ滞在中であった筆者は、まさに当時のミリオンセラーを記録していた物語を、読むのは面倒だから、映画で観た。題名は美しい、『森は永遠に歌う』(Ewig singen die Wälder.)という。なんのことはない、日本の『君の名は』に類するメロドラマで、大衆の興趣に東西の変わりはない。しかし、そういう娯楽文学、ややしかつめらしく命名して、この頃は「消費文学」(Konsumliteratur) と称されるものは、この世で必要なのである。読者だけではなく、文壇もそれを必要としている。作家も、出版社も、販売店も、それを必要としている。ずらりと並んだ各種の文学賞は、より多くの良質の商品を生み出すのに有効である。そういうものと並んで、ノサックがまことに適切な例を引いているように、ただ黙然と、ひとり草原に座して、次のように古い民謡を口ずさむ人間を、どうして同じ次元で言葉をあつかう人間と、認識することができるであろうか。「もしも僕が小鳥だったら/二つの翼を持っていたら/君のところに飛んで行くのに。/でもそれは出来ないので/ここに僕はいる。/・・・・・・/僕は一人ぼっち。」― これでようやくゴールにたどり着いたようだ。これ以上の所見を述べるほど、筆者は野暮ではありたくない。言語や文学にプロとして携わる者は、この古謡に託して述べられることが、痛いほど分かるであろう。「無用の浮荷」の比喩が、肯定的に読み解けるであろう。
思いがけず長い「随想」になったが、年齢的に筆者が公に書き物を発表するのは、おそらく、これが最後となろう。人事の形式的手順からいえば、今回定年退職される鎌田道生教授は、筆者が関学を去るにあたっての後任ということになる。だから、何かはなむけの文章を贈りたいと願っていた。我々大学人の交友は、何よりも学によって成り立っている。したがって、何か学問的に目ぼしいものが、何よりの贈り物だと思っていた。その思いが十分に通じたかどうかは、すでに老齢によって硬化しているかも知れないこの頭脳では、判別の仕様がない。思えば鎌田さんは、在任中、学部長を務め、また阪神学会長も務めた。その点でも、筆者とまったく同じ行路を歩んでおられる。ただ、独文学界全体が斜陽の時期を迎 え、ご苦労はひとしお大きかっただろうと思い、目出度い定年退職をお祝い申し上げる。
なお、当評論は、内容と形式の必然性から、いっさいの注記を廃した。末尾で恐縮だが、ノサックに関して種々の資料と意見を提供していただいた、弟子筋の○○恵里および○○純子の両氏に、同学の誼みに対する礼を述べ、また、グリュフィウスおよびバロック全般については、年来の学友である学習院大学名誉教授・○○収氏に、変わらぬ感謝と敬意を捧げたい。
(2009.04.30記)当評論は、同学の後輩、鎌田通生教授の定年退職を記念して、寄稿したものである。
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