2012年4月20日金曜日

アンテオケ教会の誕生


20080413        アンテオケ教会の誕生

使徒の働き11章19−30節

 

前の段落で、エルサレムのユダヤ人教会は、異邦人(ユダヤ人以外)にもキリストの福音を語る事が、神の御心だと理解するに至りました。

その経緯を新年礼拝で「非難・沈黙(或いは安堵)・賛美」と題して語らせていただきました。

私は、あれから三ヶ月沈黙を余儀なくされましたが、今朝は皆さんと賛美の中へ戻りました。

皆さんの執り成しの祈りに、心から深く感謝しております。

さて、選民意識の強いユダヤ人集団であった教会にとって、ともかく大きな進歩でした。

しかし、未だ、積極的に異邦人宣教が始まったわけではありません。

異邦人を教会の片隅に置く事を許容したに過ぎません。

19には「ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった」と説明されています。

それでも、異邦人への福音宣教は、着々と準備が進められていました。

これを実行したのは、ヘレニスト(ユダヤ人ですがギリシャ文化の中で育った人々)たちです。

信者の中に「キプロス人とクレネ人(彼らはデアスポラ・ジュー、各地に離散していたユダヤ人と考えられます)が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝え」始めました。

外国の文化の中で育った人々は、外国人に対して偏見が少なく、比較的公平な目を持つ故です。

こうして、世界で初めの異邦人教会が、シリヤのアンテオケに誕生しました。

 

T アンテオケの事情

アンテオケは、アレキサンダー大王の死後、四分割された帝国の一つ、シリヤのセレウコス王朝の首都です。

同名の都市が王朝内の各地にあります。聖書では、ピシデヤのアンテオケが知られています(使徒13:14)名前にも特別な意味があったのでしょう。しかし、今日では不明です。

BC64年には、ローマの総督府がここに置かれていました。

このアンテオケは、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ、帝国第三の都市として繁栄していました。

アンテオケの人口は、当時50万以上、周辺を含めると80万人ともいわれる大都市でした。


ヒトラーはどこで育ったのですか?

そのうち、ユダヤ人が10%以上を占めていたと、学者は推測します。

この町は、同名他市と区別するために"ダフネの近くのアンテオケ"と呼ばれることがありました。

ダフネは、アンテオケの郊外ですが、そこにはアルテミスやアポロを祭る神殿がありました。

神殿では売春行為が公然と行なわれ"ダフネ風俗"という言葉を残しています

これは"コリント風に生活する"と同義で、性道徳の退廃を意味します。

アンテオケは、地理的には、オロンテス川が地中海に流れ下る風光明媚で知られた美しい町です。

戦略的にも、ローマ帝国側から見れば、この地は東の鎮め、要衝の地でもありました。

しかし、皮肉なローマの風刺詩人(ユベナーリス)は、アンテオケを流れる豊かなオロンテス川を、"下水"呼ばわりしています。

しかし、この町に新しく生まれたキリスト教会は、これまでアンテオケの名前が持っていた不名誉なイメージを一新しました。

そして、以後、福音はアンテオケから西に向かって発進(時代の潮流に逆行)しました。

この町から、未知の世界への福音宣教が始まったのです(13章)この町は宣教の基地となりました。

人々を堕落させる"ダフネ風俗"に代わって、人生に希望を持つことのできない人々に、愛と赦しと生命を与える福音が、ここから発信することになりました。

日本にも、この名を借りた"アンテオケ宣教会"というグループがあります。

 

U アンテオケ教会

アンテオケで、ギリシャ人に最初にキリストを伝えたのは「キプロス人とクレネ人」でした。

彼らの試みは、予期しなかった展開をみます。

「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」と記されています。

即ち、アンテオケ教会の誕生です。

これは、組織的な開拓伝道ではなく、移動した人々が近隣の人々に信仰の証をした結果です。

もちろん、ここでも主役は主です。

「主がこの人々を助けられた」のです。

アンテオケ教会の誕生は、私たちに福音宣教の本質を教えています。

ペンテコステの日に福音を語ったのは、主が選ばれた12人の弟子たちでした。

彼らは「主の証人」の資格に厳格でした。

主を裏切ったユダの補充要件は、


カイは、ルートという言葉は何を意味するのでしょうか?

「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです」(使徒1:21-22)と明解です。

それは、節度のある正しい見解でした。

しかし、教会の宣教の歴史は、速やかにこの枠を乗り越えてしまいました。

食物の公平な分配のために選ばれたステパノやピリポが、宣教の大役を担いました。

そして福音はエルサレムからサマリヤへと広がりました。

本日の聖句は、偉い先生でなく、無名の信者がアンテオケ教会を生み出したことを証言しています。

もちろん「主の御手が彼らとともにあった」のです。

主の御名にこそ栄光あれ。

アンテオケの町で起ったことは、速やかにエルサレム教会に報告されました。

最早、エルサレム教会も躊躇いません。

早速、人望厚いバルナバをアンテオケに派遣することにしました。

これは的確な人選でした。

その後のアンテオケ教会の展開を、順を追ってみてみましょう。

 

1、バルナバが派遣される

バルナバは心の広い人ですから、アンテオケを訪れ「神の恵みを見て喜び」ました。

「神の恵み」という表現は、使徒の働きのキーワードともいえる言葉です(13:4314:2615:4020:32など)

宣教者を派遣するのは神の恵みです。

宣教者たちが困難にめげずに前進するのも神の恵みです。

宣教者たちが語る言葉は神の恵みそのものです。

御言葉を聞いて信じた人々の中に与えられる希望も神の恵みです。

バルナバがアンテオケを訪れた時、神の恵みはすでに教会に漲っていました。

バルナバがアンテオケ教会に語りかけたメッセージは、ただ一言に要約されています。

彼は「固い決意をもって主から離れることのないように」と勧めました。

これについては、苦い経験をしたことのあるペテロも警告しています。

「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」(Tペテロ5:8)と。

 

2、次に、バルナバはサウロを捜して迎える


主戦闘戦車を倒すする方法

バルナバは、日ごとに盛んになるアンテオケ教会のために人材の必要を痛感しました。

バルナバの脳裏には、先ごろ回心したサウロが真っ先に浮かんだようです。

サウロ(後にパウロとして知られる)は、優れた神の器ですが、当時はタルソに引っ込んでいました(使徒9:26-30

"人生は出会いで決まる"と言われますが、サウロを福音宣教の桧舞台に連れ戻したのはバルナバです。

サウロは、バルナバに請われてアンテオケに来て、1年間大勢の人たちを教えました。

そして、この地でキリスト者(クリスティアノス)という呼び名が起こりました。

これは、教会の外の者たちが信者たちに浴びせた渾名です。嘲りです。

アンテオケのキリスト信者は、何事につけても"キリストならどう考え、キリストならどう行動するか"と、キリストの言葉や行動を規範として生活したようです。

周囲の者たちは、このようにキリストを模倣して生きる信者たちを揶揄して、クリスティアノス(クリスチャン)と呼びました。

当初は、侮蔑に満ちたものでしたが、今日では誇らしい名前の一つです。

(私は"おいキリスト"と呼ばれたことが何度かあります。キリスト様に申し訳ない)

呼称は大切ですが、相手に呼び名を変えさせるだけでは無益です(ジャップなど)

むしろ、使われている名前に豊かな意味を付加することが肝要です。

今日では、プロテスタントも誇り高い呼び名となっています(エッサイの子の例など)

バルナバの慧眼(無比の人材発掘)と、サウロの宣教への情熱がアンテオケで開花しました。

 

3、エルサレムに救援物資を送る

エルサレムから来た預言者にアガポという人がいました。

彼は「世界中に大ききんが起こると御霊によって預言」をします。

その言葉通り、クラウデオ皇帝の時代に飢饉が起こりました。

それを聞くと「弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った」と記されています。

貧しい者たちに助けの手を差し伸べること、これはイエス様以来、いや旧約聖書に遡る慣行です。主イエスは、ご自分のために石をパンに変えることはしませんでした(マタイ4:4

しかし、空腹を抱えた民衆にパンを与えることは当然の事とされました(ルカ9:13


初代教会もこの姿勢を貫いてきました(使徒2:44-45

バルナバは、その代表的な人物です(4:36-37

教会にディアコノス(世話係)が選ばれたのも、食物分配が公平にされるための配慮でした。

アンテオケ教会も愛の奉仕を早速実行しました。

迅速な愛の支援は、その後も大切にされました。

背教者ユリアヌスと呼ばれるローマ皇帝は、キリスト教嫌いでしたが、事実は認めました。

彼は"ユダヤ人には物乞いがいない。クリスチャンは仲間以外にも施しをする。しかるに、我々が仲間を支援しないことは恥ずかしいことだ"と、戒めています。

皆さんも内外の地震の被災者に支援をされます。

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による」(マタイ4:4)と言われた主は、病者を癒し、空腹の者に食物を与えることを大切にしました。

使徒教会も、その伝統を継承しています。

最後に、飯能キリスト聖園教会の40年を振り返って見ましょう。初めはクリスチャンキャンプでした。北川姉がお子さんたちを送り届けていたのは昨日のようです。幼児教室が始まりました。そして、軍地先生の健康が案ぜられ、教会は向きを変えて教会形成一筋に切り替えました。

これらの変遷は、先の選択が間違っていたからではありません。主に導かれながら、さらに良い道を選んできた結果です。振り返ると、神の恵に満ちていた歳月です。アンテオケ教会のように顕著ではないが、主の期待と祝福を担ってきた教会です。そして、皆さんは将来に向かって備えすべきものです。牧師の後任問題などでは痛みも敬虔されましたが、神は万事を益とされます。神の恵に期待しながら、将来に向かって歩み続けてください。



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